第四章 マザー・ツリー

 もし、自分の家に見たこともない人が居着いてしまったらどうするか。相手には縁もゆかりない。訪問も突然だ。こちらには誰かを養うだけのよゆうはない。申し訳ないが当然、お引き取りを願うだろう。こういう相手も住ませてやって、食事の面倒までみてやっているのが千年の森の杉だ。ちゃっかり居候をきめこむのはヤマグルマという木である。
 ヤマグルマは湿潤な森の杉の枝に着いたコケの上で芽生える。やがて杉の幹に沿って根を地上までおろす。いただいた養分で根は太くなり、しだいに分岐して網の目のようになる。ついには幹全体を抱き込んで締め枯らす。杉は主人の座まで譲るのだ。

だが本来、ヤマグルマは締め枯らし植物ではない。この森以外では林床で芽生え、独立した木として成長する。千年の森の杉はよほど居心地がいいのだろう。
 そのためか、杉にはさまざな木が着生している。普通はランやシダ類だけが枝上でも芽生えるが、ここではサクラツツジやヒカゲツツジなどのツツジ科、ナナカマド、リョウブ、そしてシャクナゲなど多くの木が着生木となる。これらの木はヤマグルマのように親木の杉を締め殺さない。慎み深い同居人はあくまでも仲良く共存する道を選ぶのだ。
 


千年の森の杉はほかで見るよりはるかに枝の数が少ない。毎年のように襲ってくる台風のせいで折られたこともあるが、多くの葉をつけないことで必要とするエネルギー量を減少させる。少ない養分のため、自らは節制し清貧に生きながら、着生した木々を養っているのである。ある木は可憐な花をつけ、ある木は実をつける。紅葉する木もあり、着生木は杉に豊かな彩りを添えている。マザー・ツリーのような一本の杉の上はまた、ひとつの森だ。暗い杉の森の林床では発芽しにくい木々たちは、日のあたる高い場所に住まいを得て、いのちをつなぐ。この生存方法に一役かっているのが、千年の森に降る多くの雨である。 ぼくは雨の中に立ちながら、木上の森を歩いているのを想像した。コケが土の代わりとなり、杉が母なる大地となった森。その森には共に生きるというルールがある。

誰もがそのルールを静かに守っている。だからこそ、毎年の実りと成長がある。雨がやんだら、この森の天空にもきっと小さな虹がかかるだろう。地上の大きな森と空中の小さな森。そのすべての中に生命があふれている。大きな森の中ではぼくもたくさんの生命の中のひとつにすぎない。
 果てしなく続く森の時間の一瞬の中にいる自分の姿を見たような気がした。気がつくと、雨はやんで、本物の空に大きな虹がかかっていた。

《文.蟹江節子》


 

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