多分、7回目のマダガスカル訪問。初めはカレンダーに使うための取材でした。あれから時間が流れかれこれ40年。仲良しのガイドセルジュも60歳になっていました。40年前の彼は、日本のボランティア団体が送った体操服。胸に君塚中学という名前が入っていたトレーナーを着ていました。ズボンも、毎晩ベットの下で、アイロンがわりに、ベットで皺を伸ばして、真っ直ぐにして朝やってきます。そんな姿が懐かしく、今はお子さんも大きくなり、大学を出て働いているとか。やり取りも今はメール。40年前は手紙を書いていました。何日かかって届くのか、そもそも届いたのかもわからない。マダガスカル語は僕はわからないし、セルジュはカタコト日本語話せるけど読めるのかもわからない。全部ひらがなの手紙だったと思います。
今は、MetaのMessenger機能をつかって電話もかかってくる。楽になったというかぐっと近くなった気がします。最も当時は、シンガポールとか香港で乗り換え、モーリシャスへ。そこで乗り継いで首都のアンタナナリボへ。便によってはモーリシャスの後レイユニオンに行かなければならず、航空券も確か1人50万ぐらいかかったと記憶しています。首都から乗り継いてムルンダバについた時は本当に地の果てに来た様な気がしました。
旅程表現地から
エアーの旅程
成田からはエチオピアのアディスアベバ経由で15時間かかる。エチオピア空港のゲートでヒューストンからのネッドさんと合流。そして、やっとのことでマダガスカルの首都アンタナナリボに到着。空港ではVISA所得に10ドル払い、コビットの予防接種はいつ受けたかなどの聞かれた。久しぶりのマダガスカル、空港が綺麗になっていて驚いた。30年来世話になっているガイドのセルジュに再開して、近くのホテルに。初めて滞在される方は、車の上に荷物を乗せるのや車窓から見える露天商の風景に興味津々だった。明日早いので空港近くのホテル。明日からは田舎に行くのでこんな綺麗なホテルは今日が最後。みんなでティータイム。心地よい風にリラックスできた。夕食は7時からなのでそれぞれシャワーを浴びた。なかなかお湯にならないので気合を入れて頭洗ったなどと話していた。
マダガスカル最大のバオバブを探せ。
朝、5時過ぎには、カバンを部屋の前に出し、早い朝食。6時にはホテルを出ました。空港は車で約20分と近くすぐにつきました。国内線はかつての国際空港なので懐かしく感じました。
セルジュがバオバブについてはなしてくれます。
地元の人はバオバブのことを「レナラ」(森の母) という。
これはグランディデイエリイのこと。
バオバブとい言葉はもともとはエジプトから来た。種が多いというのが意味。
また、バオバブは長い棒の意味もあるとか。
南の方には3種類ある。
「アダンソニアザー」
「アダンソニアグランディデイエリイ」
「アダンソニアフニイ」
3時に出発して、アビニューを通ってから愛し合うバオバスのところへ。
お土産物屋さんがずらっとできていておどろいた。田舎の貴重な現金収入なんだろう。
ここで、初めてドローンをとばす。
そして、帰りにアベニューの夜景に挑戦。しかし、日没になっても人通りや車が多く、思う様には撮影でできない。
今日はテストにしようと皆さん楽しめました。
朝、4時に出てアベニューに行く。まだ真っ暗の中、ボーッと見えるバオバブを見ながら、しばし黄昏ていました。
明るくなってから子供の撮影などをし、次にドローンも撮影。高く高度を上げるとまだ遠くの方にたくさんのバオバブがあることが見受けられます。
一段落したところで、8時にはホテルに戻りました。
その後、川をわたって海沿いの村を訪問。普通の暮らし、どちらかというと余裕がある様にも見える海沿いで漁師の多い村を見に。
とにかく子供が多いしどの子もはにかむ。
昼食後に、キリンデイの聖なるバオバブを見に行くことに。
ここも本当に変わった。かつて手前にあった池はすっかりなくなり、枝で垣根を作って、裸足でなら近寄ることが許されていました。
かつては牛一頭捧げないとダメだと言われたのが40年前。垣根の外にはお土産屋さんが立ち並んでいます。
聖なるという感じは少なくなり、世俗化した感じ。そのせいか、どこか近寄りがたい怖さの様なものを感じることはなくなりました。
道すがら、子供のバオバブの集合を見る。ここはかつて村があったところで、そのトイレだったそうだ。バオバブのみを食べだされたものが発芽する。そんな瞬間の見える場所。
ムルンダバ、バオバブストリートの上を雲が流れていく。
小舟に車を積んで川を渡る。
朝5時出てバオバブアベニューへ、730ぐらいまで堪能してホテルに戻って朝食。1000に出発しました。
この後はずっと悪路。ムルンダバからチュレアールまでずっとこの様な道が続く。
途中、バオバブの観光地とはまったく別のサクレという聖なるバオバブと呼ばれているところに立ち寄る。地元の人がお供え物をして祈りの対象としている。場所によってはシャーマンが管理し、人が近寄ることを許さないところもある。
そこに訪ねるには、牛を捧げて欲しいとか、ラム酒がいるなどと言われる。
自然の木が祈りの対象になっているのは興味深い。どこな日本の神道に近い感覚。
今日の出会いはここが一番印象的だった。
ここなら祈りを捧げるだろうなあと思えたから。
一日中ずっと悪路を四駆で走る。マンザという街に着いた。美人という意味だそうだ。頭のてっぺんからつま先まで、埃まみれでついたホテルはもちろんお湯は出ない。水シャワー、というより桶に溜まった水を浴びる。チョロチョロとしか水は出ない。
しかし、決して冷たくは感じなかかった。頭に水をかけると、茶色い水が体を伝い、マダガスカルの田舎に来たことを実感。そして、地元の方たちの生活を感じることができた。
マンザを出てしばらくは舗装されたいい道を走り、ベボアイという川に着く。フェリーで車も人も渡ると聞いていた。
ところがそこにはそれらしきものはなく、どこからフェリーは来るのかと見渡していたら、目の前の小舟を連結し、すのこを乗せたような船で、これで人も車も運ぶと言われてみんな驚いた。そんなに深い川ではないので、浅瀬では人が押している。しかも、この川の名前はダボアイはワニがいる川という意味で本当にワニがいる。その川をわたるアナログの作業にとても感動した。渡航は車が一台600,000アリアリ、人は1人10,000アリアリだった。
渡ってすぐにバオバブの群生地に、かつてきたことがある場所だが、橋を中国企業が使っているので、近くに施設があり、ドローンを飛ばしていたら私有地なので出て行くように言われ、早々に立ち退く。
悪路を進み、アンドンビリの村に。かつてあった、一番大きな木は雷で6年前に倒れたという。村にお金を払い、長老がやってきてお祈りをそ捧げた後で僕日近寄ることを許された。ドローンも飛ばし、撮影を終了してかつて撮影したもう一本を探したが、みつからなった。日没まで撮影していたのでホテルに着いたのは8時前。夕食を終えると10時近かった。チョロチョロ水シャワーを浴びて爆睡。
悪路を今日も走りアンダバドカに昼にはついた。形の変わったバオバブで有名なところだが、以前来た時よりもずいぶん倒れた。半分くらいになった感じがする。しばらく撮影し、ホテルへ。
昼食後、疲れてきているので、少し休みの時間を取り3時にはホテルを出た。夕方の光を待った撮影。夜の撮影のために、6時にはホテルに戻り夕食。8時に出発して現地に。星はとてもきらいにでていたが、時たま雲が来てしまい、星を隠してしまう。星とバオバブの撮影としてはあまりうまくいかなかった感じ。多くの人は10時には戻り、ネットさんと並木さんたは11時まで撮影した。
アンダバドカは海が近く、その海がとても綺麗だった。
チュレアールまでの海沿いの道は延々悪路。とくに砂の道だ。四駆でないと進みない。途中から、地元レストランでご飯を食べ、先に進むが車が故障。散々、ドライバーさんがやるが治らない。たまたま通りかかった知り合いの運転手さんに助けてもらった。
驚いたのは、ボンネットを開けてエンジン他がたくさんあるわけだけど、中には紐で止めているものもあり、今更ながら「大丈夫かな?」。
なんとか修理して、やっと辿り着いたチュレアール。夜の8時になっていて、みんな急いでシャワーを浴びる。埃だらけだから。
久しぶりにお湯が出てサイコー。
この日はチュレアールからアンタナナリボまで空路でいき、車でアンダシベの保護区へ。
この日は、移動日です。朝はゆっくりなのでホテルを散歩しました。出発は1015スタート。空港でお弁当のサンドイッチを食べ、プロペラ機を待つ。
1315発で到着は1455。
そこからすぐ150キロ離れたアンダシベへ。ついたのは夜の1945だった。
恐ろしく熱いお湯が出て、シャワーを浴びて夕食に。
2000mの高地だけあって肌寒い。
原猿類の保護区へ。
言うなればここは動物園。保護区なので船で渡る。ベローシィファカ、インドリインドリ、キツネザルなどが間近で見れる。観光化されているからか、本当に近くまで寄ってくるので、少し興奮気味に見てしまった。それからは、アンタナナリボへ陸路戻ります。途中で、カメレオンやカエルなどが見れるファームによりました。ずっと、田舎にいたのでアンタナナリボはとても都会。高いビルはそれほどないですがやはり人の数、服装、車の数が全く違います。窓から眺める町の姿は、まだまだこれから大きくなる都市を見ているようでした。
夜はマダガスカル料理ということでした。全体に土色。見た目の鮮やかさはないですが、おいしかったです。